桃とぶどう畑に囲まれた小さな美術館

<center><b>『田子の浦 富士』(1975)</b><br>
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田子の浦に 打ち出てみれば 白砂の<br>
富士の高嶺に 雪は降りつつ</center><br><br>
自身最後の誕生日に綴った言葉によると…<br>
朝、目を醒まし「今日の仕事は何にしようか」書くか、描くかと考えまとまると楽しく起きられると言い、<br><b>『心こそ心まどわす心なり心の駒に手綱ゆるむな』</b><br>を座右の銘にして生きてきたという。
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晩年になっても制作意欲は決して衰えず、数々の作品に取り組んだ。
『田子の浦 富士』(1975) 田子の浦に 打ち出てみれば 白砂の 富士の高嶺に 雪は降りつつ 自身最後の誕生日に綴った言葉によると… 朝、目を醒まし「今日の仕事は何にしようか」書くか、描くかと考えまとまると楽しく起きられると言い、『心こそ心まどわす心なり心の駒に手綱ゆるむな』を座右の銘にして生きてきたという。 晩年になっても制作意欲は決して衰えず、数々の作品に取り組んだ。
<center><b>夏目漱石著「道草」の装丁</b></center><br>
親交の深かった夏目漱石の作品の数々の装丁を手がけていた。<br>
他にも与謝野晶子「明るみへ」も同様に。
夏目漱石著「道草」の装丁 親交の深かった夏目漱石の作品の数々の装丁を手がけていた。 他にも与謝野晶子「明るみへ」も同様に。
<center><b>「少女」</b></center><br>
夏目漱石の四女・愛子の肖像画。<br>
過去には本人が美術館の開館記念日に来館された。<br>
この作品は『夏目漱石の美術世界展』(東京藝術大学 平成25年5~7月)にて「漱石先生像」などとともに展示された。
「少女」 夏目漱石の四女・愛子の肖像画。 過去には本人が美術館の開館記念日に来館された。 この作品は『夏目漱石の美術世界展』(東京藝術大学 平成25年5~7月)にて「漱石先生像」などとともに展示された。

桃とぶどう畑に囲まれた小さな美術館

青楓美術館

 一宮町北野呂、桃とぶどう畑に囲まれた場所に位置します。
画家・津田青楓と親交のあった歴史研究家・小池唯則氏が私財を投じ昭和49年に開館された美術館です。
昭和59年8月、小池氏の遺族により一宮町(当時へ)寄贈され、今日では笛吹市へと引き継がれ公営美術館として管理運営されている。
二科会創立に尽力した青楓の自由な画風の作品や思うがままの筆致の書、洋画、デザイン、ポスターなど約70点が展示、約500点が収蔵されています。
夏目漱石と親交も深く、彼の作品で『虞美人草』、『道草』、『明暗※』の装丁は青楓によるもの。年に2回、約30点単位で展示替えが行われます。

※『明暗』の登場人物・お延は、青楓の元妻で日本の服飾デザインの先駆者・山脇敏子(山脇美術専門学院創始者)がモデルとされる。
情報提供元:ふえふき旬感ネット 
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INFO基本情報

名称 青楓美術館
(セイフウビジュツカン)
電話 0553-47-2122
住所 〒405-0051 山梨県笛吹市一宮町北野呂3-1 アクセス
営業時間 午前9時30分~午後5時
(入館は4時30分まで)
休館日 月曜日、
年末年始、
祝日の翌日
入館料 一般300円(団体は200円)
大学・高校生200円(団体150円)
小中学生100円(団体80円)

※団体は20名以上、
65歳以上は無料(証明書が必要)

MAP&ACCESSアクセス

肖像
津田 青楓(つだせいふう 1880年9月13日~1978年8月31日) 本名:津田亀治郎。京都府出身。

華道去風流六世家元・西川一葉の息子として生まれる。兄は同七世家元・一草亭。

日本画・西洋画いずれも学ぶ。関西美術院に入学し浅井忠らに師事。
1904年、兄・一草亭らと小美術会を結成。

1907年には安井曾太郎らと渡仏。アカデミー・ジュリアンにてジャン・ポール・ローランスに師事。
帰国後、1914年に二科会創立に参加。後の友人河上肇の影響でプロレタリア運動に参加し、 
1931年、第18回に加点に『ブルジョワ議会と民衆の生活』を出品するも警察当局の圧力により『新議会』へと改題させられる。
1933年、小林多喜二への虐殺を描いた『犠牲者』では検挙され、留置されることに。 

晩年は新文人画というべき自由な画風で独自の画境を示した。




疾風怒濤
「疾風怒濤」
三百号サイズのキャンバスに圧倒的な迫力で描かれた作品。
力強さの中に垣間見える繊細さは実際に美術館に訪れこの画と対峙したときに気付かされる。
TEL:0553-47-2122