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山梨岡神社 春季例大祭 太々神楽の奉納
2023.02.23
山梨岡神社
第十代崇神天皇の御代、各地に疫病が流行し、その災いを祓い鎮めるために、御室山中に祀られた神社(みやしろ)が起源とされています。
その後、十三代成務天皇の御代に現在の地に遷座され、山梨岡神社と号した。
以後この郷一帯の鎮守として信仰をあつめ、創祀以来二千余年の歴史をもち、また、延喜式内社として、古くは日光権現・山梨権現とも称され、『山梨』の語源発祥の地と伝えられている。
神楽の起源
古来より、伊勢神宮で奉納されている神楽は、天の岩戸神話の中で天鈿女命が奏した歌舞を起源として、中国や朝鮮半島、
また、東南アジア方面より伝えられた様式が融合され、現在まで伝承されている。
それを各地に伝えるために、代参者の神官を遣わして奉納した『代神楽』が太々神楽の語源になったという。
また、神楽に影響を与えた『能』の技に「駄々を踏む」という動作があり、これが元で太々神楽になったという説もある。
本来、宮中や伊瀬神宮で奉納された神楽を『伊瀬神楽』・『宮中神楽』といい、別に伊瀬や宮中に代表される中央権力に対し、
独自の勢力圏を持ち文化を保っていた出雲大社を中心とする地域を起源にする神楽を『出雲神楽』という。
また、これらが民間に伝えられたものを『里神楽』という。
山梨岡神社に伝わる太々神楽は出雲神楽の流れを汲む里神楽であるが、伊勢神楽の趣もうかがわれ、独自の様式を持つのが特徴である。
山梨岡神社の太々神楽は、武田信玄公が出陣する際、勝利を祈願して奉納されたと言われている。
出雲神楽の系統で24舞が伝えられており、20番目の【久米舞】は【四剣の舞】とも呼ばれ4人が剣を片手に勇壮に舞う。
毎年、4月4日・5日の山梨岡神社例大祭で奉納している。
※今年は同日(4月4日・5日)7年に1度の夔神(きのかみ)の御開帳があります。
第十代崇神天皇の御代、各地に疫病が流行し、その災いを祓い鎮めるために、御室山中に祀られた神社(みやしろ)が起源とされています。
その後、十三代成務天皇の御代に現在の地に遷座され、山梨岡神社と号した。
以後この郷一帯の鎮守として信仰をあつめ、創祀以来二千余年の歴史をもち、また、延喜式内社として、古くは日光権現・山梨権現とも称され、『山梨』の語源発祥の地と伝えられている。
神楽の起源
古来より、伊勢神宮で奉納されている神楽は、天の岩戸神話の中で天鈿女命が奏した歌舞を起源として、中国や朝鮮半島、
また、東南アジア方面より伝えられた様式が融合され、現在まで伝承されている。
それを各地に伝えるために、代参者の神官を遣わして奉納した『代神楽』が太々神楽の語源になったという。
また、神楽に影響を与えた『能』の技に「駄々を踏む」という動作があり、これが元で太々神楽になったという説もある。
本来、宮中や伊瀬神宮で奉納された神楽を『伊瀬神楽』・『宮中神楽』といい、別に伊瀬や宮中に代表される中央権力に対し、
独自の勢力圏を持ち文化を保っていた出雲大社を中心とする地域を起源にする神楽を『出雲神楽』という。
また、これらが民間に伝えられたものを『里神楽』という。
山梨岡神社に伝わる太々神楽は出雲神楽の流れを汲む里神楽であるが、伊勢神楽の趣もうかがわれ、独自の様式を持つのが特徴である。
山梨岡神社の太々神楽は、武田信玄公が出陣する際、勝利を祈願して奉納されたと言われている。
出雲神楽の系統で24舞が伝えられており、20番目の【久米舞】は【四剣の舞】とも呼ばれ4人が剣を片手に勇壮に舞う。
毎年、4月4日・5日の山梨岡神社例大祭で奉納している。
※今年は同日(4月4日・5日)7年に1度の夔神(きのかみ)の御開帳があります。